日本の寺院の創立にはおおまかに3種の形があるといわれます。①国によって建立された官寺、いわゆる国分寺など、②大名などによって建立された大名の菩提寺、③民衆の信仰心と敬虔な気持ちによって建立された民寺です。正宗寺は③の民寺の系列に入ると思われます。多少、当時の大名(権力者)の影響があったとは思われますが、正宗寺の開基(寺創建の際、財政的支持を行う世俗の人)が不詳であることから、瑞浪のこの地域のご先祖様たちが尽力され、正宗寺が建立されたと考えられます。大名などの経済的な支援が得られない分、大名ゆかりの寺宝などはございません。しかし、檀信徒の皆様の信仰心がここまで正宗寺を護持し、発展させてまいりました。この檀信徒の皆様の信仰心こそが正宗寺の持っている宝で、今後受け継いでいかねばならない宝だと感じます。
正宗寺は天正8年(1580)に創建されて以来の歴史がございます。ご先祖様のご恩に報いるためにも、檀信徒の皆様のためにも、この歴史ある法灯を絶やすことなく、守っていく努力をしていかねばならぬと感じています。仏法を広め、皆様の心に安らぎをもたらし、そのことで充実した人生を歩めるようにしていくことが仏教の目的であり、正宗寺を創建され護持してこられた正宗寺歴代祖師方、ご先祖様のご恩に報いることであると考えます。
| 年 | 出来事 | |
| 永享年間(1429-1440) | 1代-9代 | 中野庵と称するお堂があり以下の初代から9代までが住していた。 曽勘(祖翰)主、胡蔵主、荘蔵主、彌蔵主、礼蔵主、普蔵主、徹蔵主、善蔵主、圓蔵主 |
| 大永年間(1521-1527) | 妙心寺龍泉派開山 景川宗隆(本如実性)禅師(1425-1500)法嗣の柏庭宗松(正宗法憧)禅師(1437-1527)がこの地の中野庵に止宿し、この地に一山建立を志したが、念願はかなわなかった。 | |
| 天正3年(1575) | 東福寺了室西悟が当庵に投宿し、柏庭宗松の意を感じ一山建立を発願した。 | |
| 天正8年(1580)3月15日 | 1世 | 中野庵を恵照山正宗寺と改号し、入仏供養を厳修した。柏庭宗松(正宗法憧)禅師を勧請開山とし了室西悟を創建開山とし法灯が燈った。はじめは東福寺派に属していた。 |
| 寛文5年(1667) | 2世 | 妙心寺了伝智歇(久々利東禅寺)の法系 雲海祖端が当寺に招かれ住職となる。妙心寺派に転派する。 |
| 宝永5年(1708) | 3世 | 了伝智歇の法嗣で妙心寺塔頭光國院檀叟和尚の法を分法し、檀叟和尚の弟子の琳渓祖球が当寺に招かれ住職となる。 |
| 享保19年(1734) | 4世 | 琳渓祖球の弟子 琥海祖珀が住職となる。 |
| 元文4年(1739) | 5世 | 琥海祖珀の弟子 見龍禅理が住職となる。 |
| 安永2年(1773) | 6世 | 見龍禅理の弟子 栄洲梵珠(妙鑑慈済禅師)が住職となる。 |
| 享和3年(1803) | 7世 | 栄洲梵珠の弟子 堅嶺玄固が住職となる。 |
| 文政5年(1822) | 8世 | 堅嶺玄固の弟子 圓珪恵通が住職となる。 |
| 文政8年(1825) | 9世 | 圓珪恵通の弟子 廣願宗智が住職となる。 |
| 弘化2年(1845) | 10世 | 廣願宗智の弟子 宏洲玄規が住職となる。 |
| 安政元年(1854) | 11世 | 宏洲玄規の弟子 實道宗詮が住職となる。 |
| 安政4年(1857) | 12世 | 實道宗詮の弟子 禮宗祖仁が住職となる。 |
| 明治12年(1879) | 13世 | 禮宗祖仁の弟子 梁寛祖棟が住職となる。 |
| 明治23年(1890) | 14世 | 梁寛祖棟の弟子 観法祖真が住職となる。 |
| 大正7年(1918) | 15世 | 観法祖真の弟子 明斎祖誠が住職となる。 |
| 昭和16年(1941) | 16代 | 観法祖真の弟子 副住職観宗恵一和尚香港にて戦死 |
| 昭和22年(1947) | 16世 | 春日井太清寺より、無涯浩道が住職となる。 |
| 昭和61年(1986) | 17世 | 静岡耕雲寺より、大耕啓一が住職となる。 |
| 平成30年(2018) | 18世 | 大耕啓一の弟子 大夢浩史が住職となる。 |
恵照山とは
山号は、仏教の寺院に付ける称号です。例えば比叡山延暦寺。高野山金剛峰寺。東京の浅草寺は金龍山といいます。もともとはその寺院が所在する山の名称を付けていました。しかし、所在地とは関係のない、仏教用語を山号として付けている場合があります。当正宗寺は後者になります。
恵照山という名前の由来は妙法蓮華経(法華経)第25観世音菩薩普門品 というお経の中の一説に由来すると思われます。その一説は、「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風化 普明照世間」であり、意味は観音様の力についての説明で、以下のような内容です。「観音様の力とは、暗闇を照らす一点の曇りもないすばらしい光のようで、災害を鎮めるごとくみんなの心の闇も清らかにし、あまねく世界を照らしてくださる。」このお経の中にある文字を取って恵照山と名付けられたと考えられます。また、恵照とは臨済宗の宗祖臨済義玄禅師の諡号(生前の事績への評価に基づく名)慧照でもあります。
